人生攻略法を考える

哲学を使って人生の選択に最適解を出していきます。

第二回、幸福と不幸の実態についての補足

youtu.be

 

1つ目の補足記事長さがやばいことになっちゃいました。

反省して短めにやりたいです。嘘です、絶対長くなります。

 

動画内容をまとめましょうか。

「幸福」とは「成長」と「補足」である。

「不幸」とは「劣化」と「不足」である。

 

ということで、これが幸福と不幸の実態ですね。

要するに双方を感じようと思ったら右のことをすればいいわけです。

じゃあ右4つの要素について分解して解説していきましょう。

 

①成長

 

「成長」というのはまぁ文字通り「成長」なんですけど、

これ、言い得て妙で、僕、たぶん(は?)動画で「成長を感じる」

ってワードを使ってたと思う、思いたい(は?)んですけど

別に実際に成長してなくても本人が成長してると思い込んでればOKです。

後ですね、まぁほんと文字通り「成長」なんで、

今やってることをまぁ簡単に目に見える形だとか感覚的にスコア化したら

最大スコア取ってる状態が「成長」ってことなんですけど、

例えばパーティで言う「成長」っていうのはパーティに参加したことによって

新たな人と出会えたとか、前より楽しめるようになった、とか

食べたことのない料理、見たことのない出し物を見ましたとかですかね。

自分の経験値が上昇してパーティによって得られる最大スコアを更新したということですね。

まぁ経験というのは蓄積するものなのでこういう場合は参加する度に

スコアが累積加算されてく傾向にあって、パリピとして「成長」できるわけですが。

こんな風に一見「成長」とは関係なさそうなことも、

経験値換算してみれば「成長」ですよ、ってことです。

スコア更新されると「達成感」を感じて「幸福」を感じることもあります。

まぁこれも若干わかりにくいですが、ギリ納得できると思います。

 

 

そしてこの「成長」って言葉。実はさっきから文字通りとか言って

暗雲立ち込めさせてるのには理由がありまして、

明らかにそれ「成長」じゃないだろ!みたいなものもこの「成長」という言葉に

含まれるんですね、それはもう動画では一切言いませんでしたが

補足なんで一応言っておきます。

この「成長」。一般の意味での「成長」としてしか普通の人は判断できないと思います。

しかし僕が使ってるのはただの意味の「成長」だけでなく

"心理学"的観点からの「成長」という意味合いのワードとしても使ってるんです。

つまり、俗に言う「成長」の定義とは少し異なる拡張された意味合いを持っているということです。

そして、その拡張された意味での「成長」に果たしてどんな状況が

拡張され含まれるのかということなんですけど、

 

これ、人を罵倒、つまり蔑むこともそれに含まれるんですよ。

 

 

よく見ますよね、Youtubeのコメント覧でも投稿者や人を罵倒している光景。

あれ、何が起きてるかというと、罵倒している人は「幸福」に努力してるんですよ。

何故かというと他人を貶めることによって相対的に自分を高めているから。

つまり、人を罵倒することが自分の「幸福」への努力としての手段になっている人がああいったコメントをするんです。

自分自身が絶対的に高まるのではなく、人を落として相対的に自分を高めるという手法です。

これ、凄く楽で、動画内でも説明してましたけど、普通自分が特定の幸福値、または能力値まで到達するのって

凄い努力量が必要で、凄く大変なんですよ。例えばゲームの実況などでは

やってる本人は結構必死にやってたりするんですよ。

でもそれを下手糞だとかいうと、言った本人はそれが事実かどうかに関わらず

その必死にプレイしている投稿者さんの一個上の幸福値までいけちゃうんですよ、相対的に。

つまり、本来その位置にいくのに必要な努力量、時間を伴わないでそこまで高飛びできちゃう(出来た気分になる)

裏技だったりします。まぁ裏技というには皆使ってるんでもはや周知の事実なんですけど、

カニズムを知ってる人は結構少ないと思います。

というか知っていたらとてもじゃないですけど実践できないですよね。

勿論ですが、これは極めて幻想に近い相対的な幸福値、能力値になるので

君も実際にやってみなよと言われるとたじろいじゃうなんてことがあったりしますね。

 

ということで、「成長」って言葉が難しいんですけど、

成長した気になる。だけでもOKなので、実際に成長する必要はないんですけど

日常的に「幸福」を感じるためには、いつでも自分で「幸福」を感じたい!

と思った時に、それが実行できる絶対的な能力があった方が色々捗ります。

まぁ、このYoutubeコメントで他人を罵倒するというのもいつでもできちゃう

コントロール可能な「幸福」を感じる手段なので、わざわざ自分が

努力するまでもない!っていうある意味賢い?選択肢ではありますけどね。

まぁどっちでもいいんですけど、人を罵倒することは"心理学"的には

ちょっと罵倒してる本人の精神に傷がつく諸刃の剣な要素もあったり、

後はよくない人を呼び寄せる瘴気のような要素もあったりで、

可能なら自分自身で努力してちょっとずつでもいいから

人を悪く言わなくても済むような絶対的な幸福値、能力値を手に入れることをお勧めします。

 

次に欲求値と成長と努力、能力との相関性の話をしますけど、

欲求値バーはどんどん時間軸でいう上の未来に移動していき、

努力エネルギーでイベントを押し上げなきゃ下にいっちゃうよ

て話をしたんですけど、これ物事には本気で取り組んだほうがいいってことを意味してます。

何かイベントがあるなら、本人の能力とその場での努力(パーティー)、または

その場に至るまでの準備段階での努力(試験とか)とかできる限り

本気でやってみようみたいな感じですね。

そして、そこでぐいーっと上の幸福値にイベントが押し上げられると

欲求値と比較して、幸福度合いが図れちゃうわけです。

そして、努力エネルギーは能力エネルギーに変換されてイベントの記憶として

媒介されるので(動画で何故言わなかった!)

また似たようなイベントが起きるときは"幸福"な状態からスタートして

尚且つ残存した能力エネルギーによって必要努力エネルギーは減らせて

またそこで努力エネルギーを使うことで更なるレベルアップができますよ。

ていう「幸福」の連鎖が発生します。だから物事には本気で取り組めば本気で取り組むほどいいよ!

ってことです。まぁ苦手なことだといっぱい努力してもまだまだ下の不幸ゾーンにいるよ

ってなっちゃうと気苦労も大きくなっちゃうんですけど、

積み重ねていれば必ず上の幸福ゾーンに到達するので諦めないでほしいですね。

 

最後に、一応能力エネルギーと似たようなものについて上げておきます。

これは、道具、人間と社会的環境ですね。社会整備といったほうが正しいかな?

要するに該当イベントに努力するのに自身の能力だけでなく、

使える道具、人間や社会的に使える環境というのも手助けしてくれますよ、という話です。

ただ、道具、人間や環境というのは使えるのなら積極的に使ったほうがいいんですけど、

能力エネルギーに大きく変換されるのは努力エネルギーだけで、

道具、人間と社会的環境については、あんまり変換されない、まぁ0ではないんですけど

努力できるほうが、個人の能力は高まりますよ、という話で、

道具と人間と社会的環境だけに頼っていると、実はイベントをそこそこの「幸福」値に

押し上げられても、能力は身につかなかったりしますので使用の際は、

「努力」することも忘れずに。

(道具と人間と社会的環境を利用すれば努力しなくても済んでしまうので

ちょっと言いたくなかったところですw

ただしうまく使い、努力と組み合わせれば大きな幸福値を出せますし、

特定のイベントには道具と人間と社会的環境を利用して、

努力のリソースを別のところに回せるので賢いテクニカルな使い方ができます!

・・・・ただ誘惑に負けて努力したくないから楽するためだけに使っちゃうというジレンマもあるんですが・・・。)

 

※「人間」って後から足したんで文章違和感あるかもです。

 

②補足

これは成長とはまた違って、足りない分を補うだけなので、

食欲とか、娯楽欲求のような人間の基礎的な欲求を満たすだけでおkなことに該当しやすいです。

マズローの5(6)段階欲求に見られるような現代の日本で言えば承認欲求ぐらいまでですかね。

自己実現欲求に関しては完全に「成長」の方に属しちゃう気がするので。

 

マズローの5(6)段階欲求・・・・

食物連鎖のようなピラミッド上の階層欲求構造で、

下から人間が生存する上で重要と見なされる欲求順に並んでおり、

低い下層の欲求が満たされると次の階層の欲求が表出するという説である。

一般的に下から順に生命的欲求(食等)→安全欲求(家等)→

所属欲求(社会的居場所)→承認欲求(評価)→自己実現欲求(自己理想)

(→超自己実現欲求(神))とされている。

なお、階層の順番には明確には個人差がある。

 

ただし、そういった基礎的なものが「補足」できないと、

不幸レベルは凄く上がっちゃったりします。

なので、まずこの「補足」を要求するイベントに関しては最優先で

面倒見続けることが大切なんですね。

ちなみに基礎的なイベントも勿論「成長」あります。

金銭的な能力であったり、食材を入手する手段の確保なんてのも

基礎的な欲求に対する「成長」感を感じることができる一場面だったりします。

 

 

③「劣化」

 

「劣化」についてなんですけど、何で「成長」の反対が「劣化」なのかというと、

感覚的にこの言葉の方がイメージに近いからそう呼んでいるだけです。

この「劣化」っていうのはまず1つが動画でも言ったとおり「努力」を放棄して

該当イベントを上に押し上げなかったから停滞して、基準線が上にあがったせいで

下にいっちゃったよっていうパターンと、

後、道具、人間、社会的環境、能力が喪失するパターンですね。

道具、人間や社会的環境を用いて幸福に維持していたイベントはそれらがなくなると

途端に真下に落ちちゃいます。

不便な気持ちが「不幸」の正体の1つの側面でもあるので、自己強化をして

道具がなくてもこの身ひとつあればの勢いで道具はあくまでも道具として使った方がいいですね(二度目)

ちなみにこの段階で上全部に「人間」というワードを足したんですけど、

頼っていた人間に裏切られるとそれが喪失するんでその人に依存していた

イベントが全部下に落っこちちゃって結構、大きな被害になっちゃったりします。

これに関してはですね、いつかやろうと思っている

精神は単体では存在できず何かに媒介させることでしか存在できないので、

壊れないしっかりとしたものに宿しましょうね、っていう話に通ずるもので、

特定の人に自分の信頼という名の精神を宿していて裏切られると

結構下降イベントが多くて不幸ダメージが大きいので

精神を宿す対象はしっかり壊れにくいものか見定めなければいけないんですよね、という話を軽くしときます。

芸能人が炎上しやすかったり必要以上に叩かれる、

ジャイアンがいいことしたらメッチャいい人に見えるけど

しずかちゃんが悪いことしたらメッチャ悪い人に見える理論のように、

本人の期待というか理想のような精神エネルギーを対象の人に媒介させた場合、

その人という依り代が壊れちゃって、(信じてた芸能人が悪さしたとかですね)

その人に宿して安定させていた自分の精神が行き場をなくして不安定になっちゃうから

必要以上に叩かれちゃったりするんですね。

本当は「悪さをしたから許せない!」じゃなくて

「あなたのせいで私の精神が不安定になったから責任を取って!」てことなんです。

なのであまり不用意に芸能人に自分の精神エネルギー(理想)を宿すのは推奨できません、

芸能人というのは全員偶像で、実際はテレビの前の視聴者さんと同じ人間で

綺麗でない感情も抱きますし、そういうものが意図しない形で出ちゃったりするので、

不祥事というのは絶対にあるんだ、って思って理想を押し付けない方が自分のためにもよかったりするんですよね。

そういう意味では芸能人の不祥事は不特定多数への無差別精神テロなんて言ってしまえちゃったりもするんですけど、

当のご本人も人間なので必要以上の個人的な責任の訴追はご勘弁してあげてほしいなぁと思う今日この頃です。(Neria責任論に由来する結論なのでちょっと世間と認識ズレてるかもです。)

 

 

④「不足」

これが一番深刻です。

正直、「劣化」については該当イベントが個人にとって重要でないケースも

多々ありますし、重要である場合日常的に行っているケースが高いので

基本バランスは取れてたりするんですが、

「補足」されなきゃいけない最低ラインのものが確保されないと、

不幸ベクトルへビューンです。

この「不足」状態を補うために努力エネルギーをここに全振りしなきゃ

いけなくなっちゃったりするんですけど、

そういう場合は努力エネルギーの配分を少し変えて

長期間のスパンで特定の「幸福」イベントに投資、強化してそれに媒介する

能力エネルギーに関連するイベントに徐々に拡張していくといいです。

ただ、やはり長い目で見ても長期の努力が必要になってしまうというのは

あると思います。ですが、逆に長期の努力によって「幸福」イベント値を

上げることができるので、「成長」への投資配分も考えてみてほしいところです。

1つの成長イベントに媒介する能力エネルギーは、関連する多くのイベントを補助してくれます。

その為、起点として一箇所育てて上げられたら、変化の予兆をもたらすはずです。

 

 

ということで、各項目、プラスいくつかの寄り道話をしてしまいましたけど、

おおまかなまとめは動画で言っていた通り、

「努力しようね」ってことだけなんです。

そして動画ではあまり触れなかった「道具、人間、社会的環境」の手段については、

一番必要な「努力」をしない楽するためだけに使っちゃうと本末転倒なので

Neria幸福論の体系上ではあまり、解説する意義は薄いかな、といった感じです。

 

本質はとても簡単なんです。

「幸福」へ向かう「努力」をすれば「幸福」になって

「幸福」へ向かう「努力」をしなければ「不幸」になる、というそれだけなのです。

 

本当はもう終わった方がいいのかもしれないですけど、

じゃあ「不幸」な自分は「努力」してないんだろうか。

っていう風になってしまう人もいるかもしれないので、絶対に人間は「幸福」になれるという希望の前提に帰結するようにお話をします。

 

1つ目にお話したいのはあなたの現在している「努力」が、

果たしてここでいう「努力」と同じものなのか、ということです。

違うものであれば「幸福」イベントは上にいかなかったりいきにくいです。

実はここでの「努力」という言葉はここまでのお話でも分かるとおり

一般的に使われている意味とはちょっと異なっているわけです。

例えば他人を罵倒する活動を一生懸命にしていることを世間一般では「努力」とは言いません。

しかし"心理学"的観点から目標達成への指向、到達への試みという点では

「努力」と見なせてしまうように、一般的に言われている「努力」が

ここでは「努力」と見なせない可能性があります。

例えば、人から何をされても言われても「我慢」する「努力」は

ここでは「努力」と見なされないのです。

それは逆に「努力」の「放棄」に近いことです。

問題解決を諦めて、自分の本当の願望を叶えるための「努力」をしていないので。

これは非常に難しい判断基準なんですけど、

つまり前述したとおり「努力」とは自分の本当の願望を叶えるものでなくてはならなくて、

願望から遠い結果を生むことに対しての「努力」の「幸福」イベントを上に押し上げるエネルギーは弱まってしまうんですね。

不条理な「我慢」をし続けるなんて本当はしたくないはずなんです。だからこの場合

不条理な「我慢」をしなくてすむようなことに「勇気」をもって「努力」することこそが

「幸福」イベント値を押し上げる正しい「努力」の方法であるのです。

 なので今一度自分はどうなりたいかを考えて、わからなければ憧れの人を単なるデータとして参考にするもよしで、それに対して必要な「努力」をちょっとずつでも初めてみることが大事です。

勿論、現在そのことに「不便」、「不幸」を感じているのであれば「幸福」に

到達するのには時間がかかりますし、必要「努力」量もかなりのものになります。

しかし必要「努力」量も累計なので、ちょっとずつでも未来を信じて

「努力」していけばきっと「不幸」地帯を抜け出せます。

 

 

ちなみに、また余計な話しちゃうんですけど

「努力って報われるの?」問題がありますけど、

例えば今までの話では「努力」「努力」って言ってるけど

それで「幸福」になれる保証あるの?みたいになっちゃいそうですけど、

正しい結論としては「幸福」は「努力」でしか手に入らない。ということで、

あまり「運」関係の話はしたくないんですけど、

宝くじ、買わなきゃ当たらない理論で、

宝くじを当てるためには買うという手段しかないんですよ。

同様に「幸福」になるためには「努力」するという方法しか個人はとれないので、

(道具や人や社会環境を利用する手もありますけど、これらは不安定なので

必ずどこかで自分の能力を身に着けるために積極的な努力が必要となります。)

これをするしかないということです。

他に「幸福」を手に入れる手段があるとすれば「運」です。

認知しえない人や、天からの思わぬ施しによって、挽回できちゃうパターンです。

ですが、「努力」することに懐疑的で「運」を信じるというのはちょっと

理屈としては引っかかるので、仮に「運」を信じるにしても

「努力」も両方したほうがいいと思います。

人に話しかけられるのを待つより、自分から話しかけたほうが人と話せます。

自分から話しかける人にも、勿論人から話しかけられることがあります!

「運」を信じたい人も「努力」しないのではなく両方の恩恵受けちゃいましょうということです。

自分を「不幸」から助けてくれる誰かを待っている間に自分でも出来ることがいっぱいあるのです!

そして、自分を「不幸」から脱却させる力は十分人間には備わっています!

 

そして2つ目、ということでいつ終わるんだという感じですが

文章書くだけだと楽すぎて手が止まらないですね、まずいまずい。

寄り道しすぎて元の問題が怪しくなってきましたが

「努力」しないと「不幸」になるなら

「不幸」な自分は「努力」していないのかという認識に対するお話ですね。

2つ目は、

「努力」しているけれど、まだ「不幸」ゾーンにいるだけ。って感じですかね。

勿論その「努力」は「幸福」へ繋がる正しいものではあるけれど、

必要「努力」量にまだ達していなくて、上には進んでいて

このままいけば「幸福」ゾーンに入っていくけど、

まだ現時点では「不幸」ゾーンにいるねっていうお話です。

後、特定イベントへの「努力」の手段の有効性にも差があるので

上に押し上げる力の効力が弱い手段を選択していると時間がかかっちゃったり

するかもしれません。

でも、上に上げているのには変わらないので継続が大事です。

やり方を変えてみてもOKです。

 

ということでここで終わります。

補足とかそういうレベルを超えている気もしますけど、

案外話せる内容って結構あるんだなーと記事にして思いました。

というかこれでもまだ嵩まないように押さえ込んでいるレベルなんですよね。

「幸福」になることについて具体性を出したらもうヤバいですよ。

 

右下で文字数が見られるんですけど、7900字だということで・・・・。

しかしコンパクトにしないことがコンセプトなので

たぶん暫くこのノリで続くと思われます。

 

体力のある方はお付き合い願います。