人生攻略法を考える

哲学を使って人生の選択に最適解を出していきます。

マキャベリの君主論を読んで③

新しい政体を獲得した際は、獲得した者の古い政体に付け加えられた部分は、

同じ地域と同じ言語に属するものか、そうでないかのいずれかである。

同じものに属する時は、それを保持するのは極めて容易である。

とりわけ、住民が自由な暮らしに慣れていない時は。

そしてその地の領有を確実にする為にはそれまでそこを支配してきた

血筋を抹消してしまうだけで良い。何故ならば、その他の面において、

彼らの旧来の状態を維持し、風習に差異がなければ、人々は平穏に暮らしてゆくから。

周知のように、長年に渡って、フランスに迎合されてきたブルゴーニュブルターニュ

グァスコーニュ、そしてノルマンディーの例を見れば、それはわかる。

 

たとえ言語に差異が多少あっても、風習が似ていれば、相互に容易く認め合うことができる。

そしてこのように新たな政体を獲得したものが、そこを保持したければ、次の2点を守らなければいけない。

1つは古い君主の血筋を抹消してしまうこと。

2つは住民たちの法律も税制も変えないこと。

そうすれば、彼らにとって古くから続くことになる君主政体と、ごく短期間のうちに、

そこは一体化していく。

 

だが、言語、風習、制度に差異のある地域で政体を獲得した際には、

様々な困難が生じてくる。この場合にはそれらを維持するために大きな幸運と、

大きな器量とが必要になる。

この場合の最上かつ最強の手当ての1つは、支配地を獲得した人物が自ら

そこに住みつくことだ。

そうすれば、領有はより確実で永続的なものになる。

まさにトルコがギリシアにしたように。

それゆえ、新しい政体を維持する為に他の全ての秩序が彼によって

正しく守られたとしても、もしもそこへ行って住まなかったならば、

そこを維持することは可能でなかったはずだ。

 

何故ならば、現地へ行って住んでいれば、無秩序が発生しても

事態を目の当たりにして、あなたは素早く手当てをすることができるから。

その場に住んでいなければ、事態が大きくなってから聞き及ぶことになるだろう。

その時にはもう手の施しようがない。

また、現地に住まえば、その地域を重臣達に奪い取られる心配もない。

臣民は、君主への訴えにもすぐに応じてもらえる為、満足する。

したがって、恭順な心の者達は、ますます彼を慕うようになり、また、

逆心を抱く者達は、彼を恐れるようになる。

外部から新しい政体を襲おうとする者も、事を起こすのにいっそう慎重になる。

こうして、現地へ住み着くならば、容易なことではこれを失わない。

 

 

Neria社会論

 

現地へ住み着くということは心理学でいう心的距離の利用である。

人間は自分に物理的に近い人間に対して関心を持つようになる。

逆もまた然りである。

つまり反乱やクーデターの原因は身を削られた客観的事実から、

身を削られたと思い込む主観的事実に自己の意見、集団の意見に帰結して

これが大きな語弊を招くことによる。

以降の章では現君主に不満を持つ人民が他国に手を貸し侵略の手助けをするが、

結局侵略が成功して自身らの君主が変わったとしても理想には至らず、

元の生活に戻ろうとする試みが働くという説がある。

つまり、行動への膨大な衝動とは客観的事実にバタフライエフェクトが起こり、

主観的事実、自己の意見、集団の意見と膨張した、もとい暴走した感情を起因とする。

当然ながらここにおいて重要なのは間違いなく客観的事実のみだ。

君主の身としては、この客観的事実、つまり膨張した集団の意見の根拠となる

この根っこを排除することにより行動原理を失わせることができる。

しかしながら膨張した集団心理はもはや論理性を失っている。

そうなればもはや原典などは関係がなくなり、目的と手段が逆転し、あなたを

排除して自己心理を納得させなければ気が済まないだろう。

そして、これを遠くにいる際に聞き及んだ時にはもはや手のつけられない状態になっている、

マキャベリは表現したのだろう。

当然これは人民にとっても君主にとっても良い結果とは言えない。

つまり鳥瞰的視点を持つ君主こそが人民を導かなければならない。

これには対の予防策が必要である。それこそ抑えの効かない感情の膨張に至る前に、

できれば客観的事実の段階でこれを指摘する者がいれば論理的に説得、及び

過ちを認めて修正する必要がある。

これは人民の為ならず自身と自身の君主の玉座の為である。