人生攻略法を考える

哲学を使って人生の選択に最適解を出していきます。

並木将央 成熟社会のビジネスシフトを読んで①

成熟社会のビジネスシフトとは、成熟社会とは過去の人々の需要がはっきりとしていた

時代、成長社会と比較して誰もが物的不足を感じず、生活には困らず、

新しいものを欲しがらなくなりされど生活に感情的な不足を抱え得ているが故に、

どこかしらに需要が存在しているのであり、感情から逆算しないと見えてこない

本人すら理解していない透明の需要を企業が見抜く必要があるという新しいマーケティング

成功に要求される社会である。働けば働くほど成長した成長社会とは違って、目指すべき

ポイント(ゴールと書かないのは時代の変化の速度が上がっている現代で停滞という選択肢はない為)

の把握に時間がかかる、また、これは演繹的な方法でしか確立できないものであり、

そもそも需要というものを考える必要があるのかどうかすら疑わしいありふれた情報によって

作られた複雑世界でどのようにこの状況の社会でビジネスしていくか、俯瞰的な歴史推移の観察の元

著者が提案する変化方法である。

 

歴史の推移

 

人口増加➡︎労働者と消費者の増加➡︎1945年戦後➡︎不足不満の蔓延➡︎日本経済復興への舵きり

➡︎朝鮮戦争➡︎モノ=幸せの価値観➡︎高度成長期、核家族化➡︎1968年GDP2位➡︎市場が活発化、高所得化

➡︎知的労働者の台頭➡︎1985年男女雇用機会均等法➡︎教育水準上昇、女性の社会参画

➡︎不足不満の解消➡︎大学の標準化➡︎1991年バブル崩壊➡︎1995年ITによる仕事の高速化

➡︎高学歴化による社会に出る年齢の遅れ、子供育成のコスト増➡︎多様性、晩婚化

➡︎2008年人口減少➡︎2008年不況、リーマンショック➡︎労働者と消費者の減少

➡︎大量生産による供給過多➡︎モノやサービスに溢れる➡︎質がよく安い商品が本格化

➡︎物価下落、新たな付加価値を欲しがる➡︎企業のビジョンが見えず将来が不安に

➡︎自分の生活を守る方向意識が向く➡︎2017年大学生が就職したい企業1位2位公務員

➡︎マインドシェアが重要➡︎シンプルライフ、エコノミー、シェアリング

➡︎長寿による「消費=幸せ」の崩壊➡︎誰もモノやサービスに困らない時代

➡︎実存的虚無感と関係性重視➡︎ローカルコミュニティの発達➡︎所属、承認、自己実現欲求のループ

➡︎企業における感情マネジメント➡︎パラレルキャリアの発達➡︎働くことが趣味化する

➡︎コミュニティ同士の共存共栄と個人の多様化、個別化

➡︎統合と分離の矛盾統合による実存的虚無感の解消

 

上記は著者の提唱する成長社会から成熟社会へのビジネスシフトスキーマであるが、

歴史から辿っていくと史実から課題へ突入していくことがわかる。

特に以前とは価値観が大きく変わり、ほぼ全ての人間がおおよそマズローの6段階欲求で言う

1次の生存欲求が満たされた状態で、高次の段階である安全欲求、社会(所属)欲求、承認欲求、自己実現欲求が

多様化し、またコミュニティの多様化から人間関係の中で価値観の相違を年齢に関わらず、

重視するようになり、結果、1次の生存欲求以降の欲求階層に変化が生じたと見ていい。

自己実現欲求➡︎承認欲求➡︎社会(所属)欲求➡︎安全欲求 昨今本著の様な暗雲に光明を差し入れる類の

哲学者もとい研究者の示す情報需要が増加している。それもそのはず、昨今の生きづらい人生の原因とは

多様性からくる価値観の相違であり、価値観を共有できる他者と出会う機会がないからである。

つまり、価値観は人それぞれなのではなく、自分の価値観を価値とし、他者にそれを認めさせ、

(その手段として自己啓発本などで自分に価値があるということを事前に立証しようとする。)

その同等の価値観を持った人間の中で社会(所属)欲求を満たし、それを持って社会性不安、つまり

安全欲求を満たすのである。人との繋がりが自分=他人ではなく、自分の価値観=他人の価値観に

重きが変わってきている。

 

Neria社会論

 

既に上記には本著に対する恣意的な解釈もとい、私自身の意見が見受けられるが、

Neria社会論としては、やはりこの根底に国の先行きの見えない長期的な不安に対して

短期的な不安解消が求められ、その手段が多岐に渡っているが故に、人は

不安解消と人間関係において多くの変化を求められているという社会問題に

フォーカスを当てなければならない。本来本著では変化した社会情勢を鳥瞰的に捉えた上で

どの様なニーズを見出しビジネス展開をしていくべきかについて触れているが、

実際この消費者が需要を理解していないのは1つの社会問題に感じる。

つまり、脳を使うことを諦めて行き当たりばったりで人生を歩んでいく。

また、これに伴い複雑社会のどこかへ消えたシンプルな価値観すら失い、

目的なき人生を歩むこととなる。つまり、これは環境依存型の人生であり、

果たしてこの人に少しでも考える頭があれば回避できた「望まないこと」に対して

何の対処も施すことができなくなってしまうのである。

元より自分の人生に命題を見出すほど大それた自己啓発などは必要ないが、

欲しいものも分からず、必要なことすらわからず、やりたいことも、目指すべき場所も

何もない無宗派の僧のようになってしまえば、後は運命に身を任せるだけであり、

この人が本来確固として持っていたはずの「望まないこと」に対しても鈍感になってしまう。

我々は果たしてこれを人と呼び、その様な人間になりたいのだろうか。

 

問いを投げかけたところで、話は変わるが現実、問題の根底には個人が価値観を見失っている

という現代病が蔓延していることは何となく分かるが、それでも幸福な人間と

不幸な人間は明確に分かれている。では、この違いは何なのか。

これに言及するとNeria幸福論の問題になるので、ここでは端的に社会論的に必要な

不幸なものについてだけ幸福論から抜粋して論じようと思う。

つまり、現代の人々が抱える不幸とは個人における絶対的な需要、これを「絶対的幸福感」と呼ぶが、

これが標準化されたことによって、他者から抜きん出る人間の本能である成長意識は

他者との単純な比較による「相対的幸福感」によって生じているのである。

つまり、不幸を生み出す原因は他者との比較である。個人に何が足りないか、何が欲しいかではなく、

他者にどこが劣っているかで如何に自分の日々の鬱憤や原因、責任の所在を不幸に転換するかどうか必死に

探しているのである。だが、当然の如くプライベートで好きなことをしている時間にわざわざ

リソースを奪い合っているわけでもない他者と比較することに何の意味もない。

(幸福な人間は自己の需要を理解し、それを満たす為の活動に情熱を捧げている。幸福度とは熱量である。)

従って、Neria幸福論ではこの「相対的幸福感」のことをリソースを無駄にする幻想と一蹴している。

ただし、当然の如く他人から抜きん出ることが需要であればそこにビジネスチャンスが見出せるが、

堀江貴文曰くここでのイノベーター、ファーストペンギンになるのは非常に難しい。

何故かと言えば日本人は自己の安全の為に他者を犠牲にする功利主義の民族だからである。

他人が試して安全であれば、利益的であれば真似をする、悪く言えばそういう狡猾さを持っている。

が為に、彼は自著の中でイノベーターにセカンドペンギンになれ。と言っている。

つまり、他者の中に需要を見出しても本人がそれに気付いていないのだから、

これに気づかせ納得させることは相当に骨が折れるし、果たしてそんな顧客を相手にビジネスをしたいだろうか。

はっきり言うがこの様な顧客は後々非常に面倒なビジネスパーソンとなる。だからして、

目的もなくソーシャルゲームにこうじたり、Youtubeで動画を見たり、Yahooでニュースを見る人間は

無駄にネガティブな文句が多いのである。そこにある付加価値を素直に認められない。

何故かと言うとそこに自己にとって有益な目的がないから。通常の感覚で言えば、何かしら不平不満があれば

その場からすぐ立ち去るべきであるし、目的があるのならばそれを達成しようとするし、

快適にサービスを活用できる製作者にまず間違いなく感謝し己が利益に変えていくべきだし、

これもなくただ自分が不幸であることの証明に何でもかんでも使えばいいというものではない。

(ただしメディアというのはこの様な目的意識のない人種をターゲットにしている為、

むしろ昨今の不幸社会では特需と言って良いほど需要が生じている。)

本来ビジネスにおいて文句など必要なく、数字が文句の原因を示しているのであれば改善を促し、

それでも対応せず数字に良い変化が起きないのであれば契約を解消すべきだ。

 

さて、ビジネスとプライベートの話が混在して申し訳ないが、

最終的に何が言いたいかというと情報があり触れた複雑社会の中で

良質なシンプルな情報を抜粋する必要があるということである。

これは例えば流行りの本を読むこと。

実は幾つも良質な(と思われる)本を読んでいると同じ出典から引用されているケース

が多く見られることに気づかされる。それこそが現代複雑社会のシンプルな

スタンダードであり、(正しいか間違っているかはさておき)

人々が認識すべき明確な指針であることには間違いない。

私も数多くの名著からその様な情報を抜粋、自己流にブラッシュアップして皆様にお届けしていくが、

一度、複雑になりすぎて当たり前のことすら分からなくなった社会を整理して

シンプルな誰にでも適用できる法則というものを法典としなければならない。

私の目的もそれに他ならないし、現在読み進めている社会契約論を論じた

ルソーも同様のことを述べている。結局なあなあになり曖昧なまま

複雑社会の荒波に揉まれて単純な真実すら見失うよりかは

これだけは忘れてはならない人類のスタンダードを設ける必要がある。

これがNeria○○論の目的であるが、

 

今回本著を学習するにあたっては、誰しもが生きることに物理的に事欠かない成熟社会で

企業目線で顧客のニーズがどこにあるかを模索することを習得することを目的とするので、

顧客に変化が求められている、また、読み進めていないので後にどう述べられるか分からないが、

時代の潮流に乗っていない顧客とはビジネスしないという私の自論も別の機会で考察することとする。