社会契約論を読んで
社会契約論第一遍
人間をそのあるがままの姿において捉え、考えられる限り最善の法律を定めようとした時に、
市民の世界において、正当で確実な統治の法則というものがありうるかということ。
人は自由な者として生まれたのに、至る所で鎖に繋がれている。
自分が他人の主人だと思い込んでいても、実はその人々よりもさらに奴隷なのである。
もしも力と、力によって生まれる効果だけについて考えるならば、
次のように答えられる。
「ある人民が服従することを強いられて服従するならば、それはそれで仕方のないことだ。
人民がその軛(くびき)を振り解くことができ、実際に振り解こうとするのなら、
それは早ければ早い方がいい。人民は、人民から自由を奪った者と同じ権利を持って、
自らの自由を回復することができる。というのも人民には自由を回復するだけの根拠があるし、
そもそも人民から自由を奪うことそのものが、根拠のないものだったからである」
社会秩序とは神聖なる権利であり、これが他の全ての権利の土台となるのである。
しかしこの権利は自然から生まれたものではない。合意に基づいて生まれたものなのだ。
それでは、この合意とはどのようなものだったのだろうか。
Neria社会論
社会とは一言に言えるが、実際に社会にはいくつかの階層があり、
この個々を社会と呼ぶことができる。例えば最近では各自治体を
国が小さな政府と呼び、国家レベルでの社会を市町村にまで落とし込んだ
ミクロソサエティによるローカル性を認めている。
社会とは国>都道府県>市町村>地域>町内会>家族のように
幾つかの階層毎に社会性を持っており、また、同様に友人、恋人
知人、ビジネスパートナー、ステークホルダー等他者との結びつきの
あらゆるパターンにおいてその大小に個別の社会性を見出すことができる。
(橘玲曰く:薄く軽い 政治空間>貨幣空間>愛情空間 厚く重い)
主にこれらは地域の広さやその人数に依存するが、全ては各集団に属す
各個人が集団社会の規則と契約をしてリソースをギブ&テイクして
集団の力で外敵を極力排除し、また外敵の力を抑制させ、
(アリジャムのススメバチとアリの実験:力を持つもの同士は共存の道を選ぶ。)
個である自己の保存を図る人間の生存戦略に基づいた本能の結果である。
しかし当人の遺伝や環境によってこれら社会に属すことによって享受される
リソースの有益性については個々に違いが生じる。
その為、当人は数ある小さな社会の中から最も自分にとって有益な
社会に属そうとその社会の持つ規則に自らのリソースを捧げ、能動的に契約をするのだ。