人生攻略法を考える

哲学を使って人生の選択に最適解を出していきます。

社会契約論を読んで②

第二章 家族という結びつき

 

全ての社会のうちで最も古い社会は家族であり、これだけが自然である。

ところで子供達が父親との絆を維持するのは、生存する為に父親が必要な間だけである。

父親の保護が不要となれば、この自然の絆は解消される。

子供達は父親に服従する義務を解かれ、父親は子供達を世話する義務を解かれる。

こうして父親も子供達も独立した存在に戻るのである。

もしその後でも親子の絆が保たれるとするならば、それは自然な結びつきによるものではない。

両者が結びつきを望んだが故に維持される合意なのである。

そもそも親子ともに自由な存在であり、この自由は人間の本性によって生まれたものである。

人間の社会の最初の掟は、自らの生存のために努力することであ理、最初の配慮は自己に対する

配慮である。そして理性を行使できる年齢になれば、誰もが自分の生存にふさわしい手段について、

自らを判断するようになる。こうして人間は自分の主人となるのである。

 

このように家族というものはいわば、政治社会の最初のモデルである。(最小単位の縦社会。横社会は友人)

支配者は父の似像であり、人民は子供の似像である。誰もが平等で自由な存在として生まれたのであり、

自らの利益に

 

Neria社会論

社会論における運命論だが、

「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」この世界均衡仮説において

誰もが平等な存在であるとここでルソーは述べているが、実際は大きく異なる。

人間の自由を決めるのは、「遺伝」と「環境」と「運命」だからである。

上記条件から不自由に生まれる者もあれば、自由に生まれる者もある。

概してルソーは後の章にて奴隷は奴隷として生まれ、君主は君主として生まれると述べている。

論としてはこちらが正しい。自由な存在というのは他者の持つ自由(特にこの自由幅を

人生のうちにリソースを用いて膨らませたものを既得権益と呼ぶが)に常に脅かされるものであり、

自由には強弱が存在し、自身が持って生まれた自由の強弱によっては他者を生まれながらに不自由に

することも可能だし、逆に他者の自由によって不自由に生まれることも可能であるということである。

人間の生存目的を自己の保存と仮定するのであれば(子孫や情報を後世に残し伝達保存する。)

手段はどうであれ自由がなければ他者の保存に使われるのみであるからして、

現在に与えられている自由のリソースでいついかなる時も他者にこれを侵略されないように

拡張しておく必要がある。これが人間が自己の保存のために日常的に行わなければならない

「生きる」という義務である。(橘玲:金融資本、人的資本、社会資本の拡張)