人生攻略法を考える

哲学を使って人生の選択に最適解を出していきます。

マキャベリ 君主論を読んで⑤

様々な差異のある地域に移り住んだ君主は、さらに、

近隣の弱小勢力群の庇護者となり盟主となって、その地域の強大な勢力を

弱めるように努め、例え予測できない変事が起こっても、自分と同じくらい強大な

外国勢力がそこへ入り込むことのないように警戒しなければならない。

そしてそういう強大な外国勢力が、その地域で身の程知らぬ野心や恐怖心から

不満を抱く者達の手によって招き入れられることは、常に生ずるであろう。

すでにその例はアイトリア人がローマ人をギリシアに導き入れた時に見られた。

そして、ローマ人が占有した地域では他のどこであっても、それぞれの地域の者達に

導き入れられたのである。そして事態の推移は次の如くになる。すなわち、

ある強大な外国勢力が1つの地域に侵入するや、そこに割拠する弱小勢力軍は、

それまで自分たちの頭上に権力を振るってきた者への妬みと憎しみに駆られて、彼の側へ帰順してくる。

従って、これら弱小勢力群に関する限り、彼としては味方に引きつけるのに何の苦労もいらない。

何故ならば、彼らは皆すぐに彼が新たにその地に獲得した政体と一体に化したがるからだ。

ただ、彼らの勢力や権力があまりに大きくならないようにだけ、考慮しなければならない。

そうすれば彼は自己の勢力と彼らの援助とを併せて、強大な勢力さえたやすく弱体化させ、この

地域における全面的な支配者になれる。

そしてこのような動向を巧みに見抜けないものは、自分が獲得した支配地をたちまちに失ってしまう。

また、例え保持していても、その間に無数の困難と煩わしさを抱え込むことにになる。

 

ローマ人は、攻略した地域において、このような規則を正しく守った。すなわち

民兵を送り込み、弱小勢力群を手懐けながらも彼らの権力を増大させず、強大な

勢力を弱体化させ、強大な外国勢力に付け入る余地を与えなかった。

その例としてわずかにギリシア地域を挙げるだけで私には十分である。

すなわちアカイア人やアイトリア人は彼らローマ人によって手懐けられ、

マケドニア王国は打ち負かされ、アンティオーコスは追い払われ、またアカイア人やアイトリア人の

功績であるのにも関わらず、彼らの勢力を拡大させるような真似は許さなかった。

さらにフィリッポス王が甘言を弄して近寄ってきても彼を屈服させずには味方へ引き入れなかったし、

アンティオーコスの勢力がいかに強大であれ、その地域に彼が何らかの領土を保有する事を

ローマ人は許さなかった。それゆえローマ人はこれらの事態の中で全ての賢明な君主が成すべき

事を成したのであった。すなわち賢明な君主であれば、単に当面の騒乱に

対してだけでなく、将来にも備えて、全力を挙げて対策を立てねばならない。

何故ならば、早くからこれを予見するならば、容易に治すことができるから。

しかし、あなたの目の前まで近づいてくるのを待てば、薬は間に合わない。

何故ならば、病が癒し難いものになってしまっているから。そして、この場合には、

あたかも肺を病む身体に関して医者の言うようなことが起こる。

すなわち病気の初期においての治療は易しく発見は難しい。

だが時が進むにつれて、初期の発見が遅れて治療も施さなかったがために、

症状の発見は易しくなるが治療は難しくなる。

それと同じような事態が政体に関しても起こる。すなわち、その政体のうちに

生まれつつある病を早くから発見する時には、ーただしこれは思慮深い人物のみに許されることであるがー

速やかに治癒させられるから。だが、その症状を発見しなかったが為に、誰の目にも

それだとわかるほど事態を放置してしまった時には、もはや手の施しようがない。

それ故にローマ人は、早くから不都合を見つけると、常に治療を施した。

そして戦争を避けようとして事態をそのままに放置した例はなかった。

何故ならば、戦争が避けられないものであり、先送りすれば相手に利するだけである事を知っていたから。

それに故に彼らは、フィリッポスを相手に、またアンティオーコスを相手に、ギリシアで戦争を起こしたのであり、

それはイタリアで敵と戦わない為であった。その時に、両次の戦争を避けようと思えば、そうすることも

できただろう。が、彼らはそれを望まなかった。

また、私たちの時代の賢者達が日々口にする、時の流れの恵みを持つというやり方を好まずに、

むしろ潔く自分たちの力量と思慮に身を委ねる事をよしとした。

何故ならば、時の流れはあらゆるものを前へ追い立ててゆき、善と同様に悪を、そして悪と

同様に善を、流れとともに運び出してゆくから。

 

 

Neria社会論

 

私はこれからもこの文言を述べ続けざるを得ないだろうが、

時として世界の名著を読み思慮するたびに、我々の住む時代、またこの地域において

果たしてこの歴史上の正しいとされた道は同様に正しく適用されるのか、という疑問を持て余す。

決してそれが、歴史を省みない決定的な理由にはならないだろうが、我々は現在かのイタリアの

君主における正道を辿る術を持ち合わせてはいない。

何故ならば日本は敗戦国であり、アメリカの庇護にあるという名目の元、

前社会契約論におけるNeria社会論、自己保存の為の拡張(=既得権益)を許されていないからある。

よって、現世において日本が現在の諸外国のみならず、歴史上の君主の正道を辿ることは

前提からして不可能であるということである。

もし我々が日本という国を民主制という国民1人1人の代弁者たる総理大臣という人格の元、

自己保存を図ろうとすればこれは容易に諸外国に阻害されるであろうし、あろうことか、

GHQの望んだ戦争忌避の概念が標準化された味方にすら阻害をされるという始末である。

無論、私の意見としては歴史を省みてもいつの世も戦争は起きるものであり、

これが世界の形態を現在の形まで変化させてきた。未来への変化とは常に戦争が招くものであり、

またこれは防ぎようのないものである。その上で勝者として生まれるか、敗者として生まれるか、

これが現在では出生段階で選ぶことができない。その為自国、こと日本に残る意思を持てば、

無論戦争の敗者になることは必至であるし、日本を出て勝者の国に移ればこの心配はなくなる。

そういった意味では、戦争の勝者、または敗者になるかの選択が可能である分、日本がまだ

裁量のある国家であることは否めないが、多くの国民の意見としては恐らく日本保存、自己の無変化、

また、戦争の忌避を人生の前提として据え置きたいところだろう。

だが、昨今の世界情勢を日本を中心に考えてみよう。戦争が衝突であるならば、

互いの感触を確かめ合う摩擦のようなものが政治であり、この観点で他国との関係を見てみれば

これはもはや一目瞭然であるが、まず、権威については度外視され眼中にない。

そして地理戦略として侵略されている。そしてその侵略は尽く成功に帰結している。

無論、武器を持たぬものに多勢に無勢、力で挑めばこの勝敗を憂慮する侵略者などいるはずもない。

精々侵略の際に考慮する余地があるとすれば、侵略を他国に宣言しているという見解を表明する

タイミングに過ぎない。と、日本という国はいつでも他国の君主からしてみれば破壊の容易い

戦争の窓口でしかないのだ。もしこれを転じようとするならば、アメリカの協力は必至であるが、

アメリカは日本の保存に興味など持っていない為、決して味方にはならないだろう。

詰まるところ、我々日本人がマキャベリの記述した歴史書に学ぶことがあるとするならば、

極めて小さな社会の中でのみこれを活かすことができるということだ。

長くなったが、本来であればこれは第一編第一章の際に申し上げるべきことであった。

それを謝罪した上で、小さな社会の小さな君主についてこれを社会学的観点から考えてみようと思う。

 

君主が既得権の拡張を行う際に守らなければならない事項というものを

マキャベリはイタリアからギリシャへの侵略を例に挙げた。

同様にこれを会社から会社へ、組織から組織へ、人から人へ適用するのであれば、

一体どのようになるのだろうか。

①奴隷に害を成さない家系であれば君主の継承後も維持は容易い。

②奴隷が君主と同じ価値観を持っていれば、前君主の血筋を無力化し、規則を変えなければ良い。

③価値観が違えば、君主自ら監視を行う。

④支配地の権力者に恐怖政治を行い、この部隊を掌握すること。

⑤さもなければ更迭してしまうこと。

⑥君主は自分と最も関係性の薄い反抗的な奴隷に気をつけるべきである。

⑦君主は異常を見つけたらこれに対していち早く対応すべきであり、

 また、それに全力を注がなければならない。

⑧これら全てを行うこと。時の流れに身を任せれば善を失うことになるから。

 

この8つの項目を羅列させるとまさしくワンマン組織がイメージされるが、

マキャベリ君主論において共和政についての言及を避け、あくまでも

君主政のみについて触れているので、今回はここを深掘りすべく、

横社会(友人、恋人、家族)については考慮しないこととする。

 

つまり、上文でも挙げた通り君主政というのは現代でいう縦社会の

ワンマン組織を上げるのであり、またこの必要性については、

ケースバイケースで、ある組織が最も生産性、効率を発揮するには

横社会よりも縦社会であった時であった場合であり、これは環境、

つまり組織を形作る人材や、また組織を取り巻くステークホルダーの存在によって

決まるものである為、君主政が適すか共和政が適すかという議論は

実例に沿わない限り困難を極める為、これにもここでは言及しないこととする。

 

つまりワンマン組織がうまくいく為に、TOPである君主が何をすべきか

ということが君主論から学びうることであり、我々はそれを求めてこの

史書を読み進めなければならない。また、共和政、つまり組織を一個人の

視点から捉えたルソーの社会契約論を同時に読み進めることにより

この2つの統治法の排他的な相違点に気づくことができ、組織における

リーダー、構成員、各観点から見た最良の組織形態を見出すことができ、

かつ、そこで最良の選択を行なっていけるだろうが、それはまた別の機会とする。

 

話を元に戻そう。

①奴隷に害を成さない家系であれば君主の継承後も維持は容易い。

②奴隷が君主と同じ価値観を持っていれば、前君主の血筋を無力化し、規則を変えなければ良い。

③価値観が違えば、君主自ら監視を行う。

④支配地の権力者に恐怖政治を行い、この部隊を掌握すること。

⑤さもなければ更迭してしまうこと。

⑥君主は自分と最も関係性の薄い反抗的な奴隷に気をつけるべきである。

⑦君主は異常を見つけたらこれに対していち早く対応すべきであり、

 また、それに全力を注がなければならない。

⑧これら全てを行うこと。時の流れに身を任せれば善を失うことになるから。

 

これらの8つ項目を実際に組織の中でありうる事例に変えて見ていこうと思う。

 

天皇制である。また名が知れた会社もこれに当たる。

内部的に見れば、順当な役職、役割の継承である。つまり、客観的に次は誰が

特定の役職、役割に継承するか分かった状態で引き継がれることである。

 

②  ①で着任した新しい組織のリーダーがその他の構成員に理解があれば、

 ただ構成員にとって利益のある伝統を絶やさず緩やかな変化を起こすだけで良い。

 

③ 反抗的な他者を従わせるのは力であり、リーダーの権威によって反乱分子の

 出現、成長を食い止めることができる。(権威の獲得、維持方法については言及しない)

 

④権力者の味方をつけるということ。権威を以ってして主従関係を築く。

 

⑤味方にならなければ投資の対象として見ない。現代社会では更迭は難しい。

 その為、④に帰結するように、また自分の地位を危ぶませる増長をさせないように

 投資対象から外す。

 

⑥君主は自分と違う目標を持っている人間に気をつけるべきである。

 またこれを共有していないのであれば、両者の間で妥協点を探し落ち着けることである。

 白か黒かではなく、グレーに。肝心な両者間の最終判断時は白にも黒にも譲り合うことである。

 

⑦君主にとって異常は日常茶飯事である。が、異常に対処するものの力量不足や

 リサーチ不足が垣間見えた時、君主はいち早く自らこの課題に取り組むべきである。

 さもなければ、手に負えなくなった後に自分の耳に入るからである。

 (Neria哲学:まず耳で聞くのではなく目で見ろ。何故なら目は広く多くの情報を浅く手に入れることができ、

  耳は狭く多くの情報を深く手に入れることができるから。)

 

⑧時を待つのは環境の変化に流されるということ。

 波に揺られるのではなく、波に乗ることこそが必要。

 揺られた方が良かった結果にならない為に日々の学習が必要である。